閉じつつも開いている場所

思考

土門蘭さんの「ほんとうのことを書く練習」を読んでいる。7合目あたりのところまで来たのだが、そこに「誰かに見られる日記を書く」というテーマが出てきた。誰にも見られない日記と、人に読んでもらうための記事しか書いてこなかった土門さんが、その中間である「閉じつつも開いている場所=誰かに見られる日記」を持つことで自身の文体を鍛えようとしたらしい。この「閉じつつも開いている」という考え方はこのkikuchi-sasuke.comを作ったときに同じ思想で作っていた。こういう著名人が考えていることと同じことを考えているな~みたいなことは意外とある。これは、自分が賢いとかいう話じゃなくて、逆に人間が一定考えることって大抵おんなじになるもんなんだなと思っている。ここで著名人がすごいのは、それを体系的にまとめてしまっていて、自分の言葉で語っていること。それをしているから、著名人は著名人なんだと思う。この考えを仕上げるという作業をしていないのが私。で、本来、言語化という言葉はこうした「考えていたけど、そこに言葉をあてはめてくれた」みたいなときに使う言葉なんだと思っている(これは誰かがpodcastで言ってた)。

実際は、「閉じつつも開いている場所」という捉え方までは同じだったけど、私のこの日記は人に読まれることは全く意識していない、推敲も校正もしていない脳の思考実況だったわけですが。

私はいま、誰にも見られないアナログの日記(家)は5年間続けている、「閉じつつも開いている場所」(庭)のこれも持っている。あと、note(外)もアカウントはある。noteもまた始めようと思った。家・庭に次ぐ外の場所として、ここでは、人に見られる文章の場として持とう思い、大学生のころに書いていたゼミの振り返りnoteなどは全部下書きに入れた。いざ、noteを書こうと思ったけど、人に見られるための文章を書くという行為は、自分の考えを一定仕上げる必要があって、それにはかなりパワーが必要でできなかった。大学生のころ、ゼミの振り返りnoteを人に見られるから書けないという理由で書いていなかった人がいたけど、その感覚ってこれに近いのかなと思った。そうしたときに匿名ってめっちゃ良いなと思った。匿名でやっているpodcastと自分の思考が変わらないから本名でいろいろやろうかなと思っていたわけだけど、自分に自信がない状態や仕上がっていないと思っている状態だと、外向けの言葉を並べられないや。

今日は土門蘭さんに影響されて、最初は他者の目線がある文章になった。途中からはいつもの脳内実況中継。最適解は続けながら探っていく。